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エッセイ You never miss the water until the well runs dry.

  エッセイ いなくなって初めて、その人の大切さがわかる・・・



ピンクのセーター


3 ぜひ、BGMをオンにしてお読みください。
心に響く音楽ですよ。





※注意: この作品は事実に基づいたエッセイですが、登場人物の一人が書き出しの部分が
気に入らないとうるさいため、当作品の登場人物は、すべて架空のものとします。





ピンクのセーター  ピンクのセーター  マーク





 まずは、私の苦情を聞いていただきたい。
 私の妻は、百貨店の販売員をしているのですが、毎日のようにお店の文句を聞かされます。
 例を挙げれば以下の通りです。



1 1 1



 店員同士で朝の挨拶をしない。
 お店の掃除をおろそかにする。
 お客の悪口を平気で言う。
 不良品を平気で売る。
 お客の意向を無視した押し売りをする。
 お店の内装がなってない。
 ウィンドウのディスプレイがなってない。
 メーカーの営業社員がなってない。
 店員を奴隷のように扱うお客がいる。



2 2 2



 これはほんの一例でありまして、一日勤務した後は、決まって噴火寸前の火山のような形相で、私にその日のうっ憤をまくしたてるのです。
 彼女は一介の雇われ販売員なのでありまして、そのように毎日怒る必要などないと思うのですが、そこはそれ、彼女の性格なのでしょう。
 まあ、そこが彼女の良いところの一つでもあるのですが、それにしても毎日聞かされる方は、堪ったものではありません。



3 3 3



 ある日、私は彼女に聞いてみました。
「服の販売をしていて、良かったことはないの?」
 彼女は言いました。
「お客様が命よ、ワタシは夢を売ってるの!」
 夢を売っている・・・には参ってしまいました。
 私の妻は、少々極端な性格なのです。
 いや、清廉潔白な性格と言った方が、今後の私にとっては無難かもしれません。
 ただ、そんな性格では他の店員達と仲良くできるはずがありません。
 それはそうでしょう。
 たいていの店員は、「いくら売れたか」が大切なのであって、「夢」を売っているわけではないのですから。
 ただ、毎日のようにお店での不満を聞かされていると、
「服の販売店というのは、そんなにひどい所なのか」
 と、こちらまで文句を言いたくなる始末でした。
 ところが年末のある日、そんな彼女がまったく文句を言わない日がありました。それどころか、その日の妻は、始終ニコニコと穏やかな表情なのです。
 珍しいことなので、私は、これはきっと今までにない最悪の事態が発生したに違いない、と思いました。
 私は、恐る恐る聞いてみました。
「何かあったのですか?」
 彼女は、珍しくも、照れくさそうにはにかんで、言いました。
「今日、あるおばあさんがお礼にきてくれたの」
 そう言いながらも彼女の笑みは絶えません。
「それで?」
 と先を促すと、彼女は噛みしめるように、その日あった出来事を話してくれました。



4 4 4



「二、三日前、変なおじいさんが店の前でうろうろしていて・・・」
 それは見るからによぼよぼの、七十前後の老人だったそうです。
 百貨店は、どこもかしこもクリスマスの装飾が施され、スピーカーから流れるクリスマスソングが華やいだ雰囲気を作り出していました。
 その雰囲気と、七十前後のおじいさんは、どこか場違いな感じがありました。
 他の店員は、誰も、老人には見向きもしません。
 なにしろ、婦人服売り場の真っただ中なのです。老人が近づくと、どの店員もスーッと身を引いてどこかにいなくなってしまうのでした。
 早く通り過ぎてくれないかと、誰もが思っていたことでしょう。
 すると、何を思ったか、妻がその老人に近づいていったのでした。
「何かお探しですか?」
 妻の問いかけに、最初、老人はモゴモゴと口を動かすばかりで何を言っているのか分かりませんでした。
 妻は辛抱強く、老人の話に耳を傾けました。
「笑顔がだいじなのよ。口角を上げて!」
 と、常々私に強要するくらいですから、おそらくその時の彼女の顔も、微笑みに満ちていたことでしょう。
 彼女の笑顔に応えてか、老人はゆっくりと話し始めました。
「おばあさんが・・・」
 要約すると、その老人には家に引きこもりがちの奥さんがいて、その奥さんのために、何か洋服をプレゼントしてあげたいというのです。
 新しい洋服を着れば、外出したいという気分にもなるかもしれない・・・と。



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 私の妻は、俄然張り切りました。
 他の店員が冷たい視線を送る中、やはり七十前後であろうおばあさんの体型、好みなどを老人から聞き出し、ようやく一着のセーターを選んだのだそうです。
 約二時間の問答の末に。
「ピンク?」
 私がその場にいれば、きっと絶句していたでしょう。
 七十歳のおばあさんにピンクのセーター・・・。
 私なら外出するどころか、逆に家に引きこもってしまう取り合わせです。
「確かにピンクのセーターを見たら、最初はびっくりするはずよ。だってそんな色の服何十年も着てないでしょうから。
「だけど素材もいいし、腕を通して鏡の前に立ってみれば、きっと満足するはずよ・・・」
 と、妻は思ったのだそうです。
 そして今日、その老人が彼の奥さんを連れ、お店に来たのでした。



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「きっと返品ね」
 と、店員の誰もが思ったことでしょう。
 ふたりとも、暗い色のコートに身を包み、申し訳なさそうに下を向いて歩いていたのです。
 私の妻もその様子を見て、
「駄目かな」
 と思ったそうです。
 老人は奥さんの手を引き、ゆっくりと店の中に入って来ました。
 やがて、近づくおばさんの手に、白い杖が握られていることに、店の誰もが気づきました。
 そして、白い杖が何を意味するのか、妻は気づきました。
 それは、目の不自由な人が持つあの白い杖だったのです。
「ああ、どうしよう」
 と、軽いめまいのようなものを感じながら、妻は二人に近づいて行きました。
「先日のセーター、いかがでしたか?」
 覚悟を決めた妻は、二人にそう聞きました。
「はい」
 と、おじいさんは戸惑った表情を浮かべ、おばあさんは妻の頭上辺りで視線を泳がせていました。
 周囲の店員たちは興味津々にこのやり取りを見守っていたことでしょう。
 妻はその様子を背中で感じ、額から酸っぱい汗が流れてくるのを感じたそうです。
 止めておけばいいのに、よぼよぼの老人によりによってピンクのセーターを売りつけ、その無残な結末がそこに待ち受けていたのです。
 店員たちは、夕食時の雑談のひとつにと耳を大きくしていたにちがいありません。
 そして、あきらめかけた妻が、
「返品でしょうか」
 と、口を開いたその時です。
 おばあさんの手が動き、彼女の着ていたコートの前が開いたのです。
「これに似合うスカートを、と思いまして・・・」
 おばあさんのコートの下には、あのピンクのセーターがありました。
 おばあさんがコートを開けた途端、お店全体が一瞬、パッと明るくなったそうです。
「それはまるで春を身にまとっているような」
 と、私の妻は感動で体が震えました。
 そのセーターは彼女のために生まれてきたのではないかと思えるほど、その小柄なおばあさんに、とてもよく似合っていたのです。



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 おばあさんは、三年前から急に視力が衰え始めました。
 今では、ほとんど何も見ることができなくなり、気軽に外出することもなくなったそうです。
 そんなおばあさんを気遣い、少しでも外出してもらおうと勇気を振り絞り、クリスマスプレゼントを探しに百貨店へ出かけたおじいさん。
 そのおじいさんの思いが、おばあさんの心に届いたのかもしれません。
 たかが一着のセーターです。
 でも、年老いて体力も衰え、その上、視力さえ失ったおばあさんの心の支えとなれる何かが、いったいこの世にいくつあるでしょうか。
「服は呼吸しているのよ」
 と、時々妻は言います。
「呼吸を忘れた服を生き返らせる」
 それも、販売の仕事のひとつなのだと言います。
 私の妻は服と共に、盲目のおばあさんの心をも、ほんの少し蘇えらせたのかもしれません。



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「ありがとう」
 と、老夫婦が新しいスカートを受け取り、
「ありがとうございました」
 と、妻が深々と頭を下げる。
 そんな光景を思い浮かべながら、私は一瞬、彼女の仕事がうらやましくなりました。




ピ ン ク の セーター






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